「eースポーツ」娘がやっているものだから、名前だけは知っている。結局はゲームでしょ、ゲーム嫌いの私の認識はそんなもんだった。
e-スポーツをきっかけに、不登校の子供たちが集まる場所があるという。そこでは、勉強する子、本を読む子、ゲームする子、様々だ。ゲームばっかりするわけじゃないんだね。私、古い人間。先入観だらけだ。
学校に行けない理由もいろいろ。何もなく学校に行けていた身からすれば、いじめられてとか、家庭の事情とか思っていたくらい。「行きたくても行けない」ってどういうこと?理解できないけど、そういう子もいるって知ることは大事。
コロナ禍を経て、不登校児や出社できない人が増えたらしい。で、理由はどうあれそれも仕方ないと受け入れる考え方もまた多様化した。今の人はやさしい。若い頃からそんな考え方できていたら、私ももっとやさしい人になれていたかな・・
ホントに少し前まで、自分がいちばん、自分が正しいと思ってきた。けど、時々自信を失ってたまに落ち込んで。それは人に見せたくないから、外ではカラ元気。家帰ってどーんと落ちて。一回落ちちゃえば、なんかすっきりするのか、次の日にはまた元通りを繰り返してた。それは、生理の周期に左右されることもすごく大きいんだけども。基本的にホルモンバランスに左右されない男性が羨ましいと何度思ったことか。
そんな私だから、不登校には否定的だった。表向きは「それもしかたないよねー」と言っておきながら、本音は「なんて弱いんだろう」。
でもそれは他人事だった時。自分の娘がそんな状態だったのを知って、初めて当事者の気持ちを考えた。「だった」という過去形は、その当時一緒に暮らしてなかったからだ。今もその時の辛さを彼女は多少引きずっている。私のせいもあるだろうな、申し訳ない気持ちをどうしたらいいだろう・・
eースポーツは、娘の心の支えになっているようだ。バイトが辛い(長いこと勤めているけど、いろいろあって行きたくない日もあるみたい)時も、それをやるためになんとかがんばれている模様。eースポーツ専用のパソコンを買うために貯金もしてたんだから。
何かしてあげられることがあるとすれば、心で応援することかな。がんばること、立ち直ること、いくら手を差し伸べても結局は本人の意識次第。何も言わないけど、いつも通り接すること。いろいろ聞きたい気持ちを抑えて見守る。何かあったら話してもらえるように、信用してもらえるように。
不登校だったからといって、大人になれないわけじゃないし、社会人として勤められないわけでもない。むしろ、その時の経験を生かして仕事にしている人もいる。人生何が起こるかわからない。
ただ私が思うのは、学校行こうが行けなかろうが「国語と算数だけは勉強しておいて」
日本人ならやっぱり日本語のルーツを知ってほしいし、正しく使ってほしい。世界に誇れる文化だから、世界に出ていきたいのなら尚更。自分でもきちんと使えているか自信はないけど、本を読んだり文章を書いたりする時に実感する。
算数も、今は計算機でパッとできちゃうけど、買い物する時や外食時に概算できたり、何かの量を推測するにも使えるし。論理的な考え方ができるようになるのが数学で、算数はその足掛かり。だから加減乗除(昔は和、差、積、商って言わなかったっけ?)は必須だと思うな。また、算数って答えが決まってて潔いし、パズルみたいで楽しいと思うのは私だけでしょうか?
それ以外は本人の興味次第でいくらでも勉強できる。しいて言えば、家庭科と保健体育も大事かな。大人になると聞きづらいことも多くなるから、子供のうちに学んでおけたら尚いいと思う。必ずしも家庭で学べるとは限らないからね、特にこのご時世。
ゲームのステータスも、だいぶ変わった。だからといって私もやりたいかと言われてもやらないけど、以前ほどの拒否反応はしない。結局は多様性という便利な言葉に集約してしまうが、ま、いいや。
ちょっと前に「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか」ってドラマがあった。他人事のように見てたけど、私もアップデートしなきゃいけないことはたくさんあるってことに気づけたニュースだった。
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